スフィンクスゲーム~クルディスタンから来たニート~(愛される資格 ~いつの日も汝の上に~より改題) あらすじ

この戦争はまさしく、口撃力と攻撃力の戦いであった。念願の京都大学に合格した織河七海は入学式の日、考古学部の部室を訪れる。そこで出会ったのは十崎という掴みどころの無い男だった。七海は首尾よく入部したものの、先輩からのネチネチとしたイジメに悩まされる。
その窮地から七海を救い出してくれたのが十崎とその仲間のならず者にしか見えない九城という男だった。
交友を深める3人を余所に、イラク北部からウルと呼ばれる女が来日する。目的は、ウルがボランティアとして滞在する村の者が以前贈った遺物を
十崎から買い取ること。十崎はかつて、イラクで冥府からの声と呼ばれた、暗殺者だった。違法な遺物の取引に手を染めている
彼を見張るために米軍に雇われ、派遣されていたのがイラクで狂犬と恐れられた傭兵、九城であり、ウルの来訪を期に全てが七海に露見する。



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 ウルが、関西国際空港の構内を出ると、すっかり日が暮れていた。
 吹き付けてくる潮風に、感動を覚える。一年近く、内陸部にいたせいだ。
 沖の方の漁火が、遠い星のように輝いていた。強風に、肩まで伸びつつある黒髪をなびかせながら、駐車場に向かう。
 しかし、寒い。
 灼熱のクルディスタンにいたことを差し引いても、日本の四月はこれほど寒くはなかったはずだ。
 ウルはこらえきれず、季節外れは承知の上で、トランクの中からロングコートを引っ張り出した。
 広大なパーキングは、多数の街灯に照らされ、闇が白い蛍で駆逐されている。ウルのいた村とは、かなりの違いだ。
 白い平凡な軽のバンの傍で、老人がニコニコと手招きしていた。
 スライドドアを開け、後部座席に乗り込んだが、車内特有の黴臭さがないことにほっとする。ウルはあまり乗り物に強くなかった。
 すぐに老人が、車を発車させた。
 車にはすでに、ドバイ空港で見た少女が乗り込んでおり、携帯をいじっていた。
 パチンとそれを閉じると、車内が静寂に包まれる。
 ウルは自分からは、話しかけなかった。
 ベージュのコートの下で、柞の棒を抱いている。油断するつもりはない。
 異変が起きたのは、空港と本州をつなぐバカ高い有料道路に、車が載ったときだった。
 「くっくっくっ……」
 少女が、肩を揺すって笑いだし、
 「あーっはっはっはっ」
こらえきれなくなったように爆笑した。
 手を叩き、ダッシュボードの上に、靴のままの細い足を放り出し、バタバタとかかとを叩きつける。
 運転席の、真後ろに座っていたウルは、呆然と斜め前の少女を見た。
 可憐な容姿、鈴のなるような声と大口を開けて馬鹿笑いする姿に、ウルは自分が今までだまされていたかのような感覚に陥った。
 「やったやった! 見事にやってのけたぜ、ざまあ見ろとっつあん! なあ、マス爺さん、私きっちり仕事こなしたぜ」
 「これこれ、お客さんもいるんだぞ」
 老人は苦笑して嗜めたが、少女は全く聞く耳を持たなかった。
 「な? 言ったとおり日本に入るときは、私がブツを持ってたほうが怪しまれないっていったろ? どうやって荷物検査をパスしたかっていうとだな……」
 そこで少女は、ごそごそと小さなバッグをまさぐり、
 「じゃん。これよ、これ。トランクを開けたら、このコたちがどーんと見えるようにしといたんだ」
 可愛らしい下着を、片手で掲げた。
 「いやっ、だめっ」
 突然、少女の声音が変わったのに、ぎょっとしたウルだが
 「だってよ、オイ。われながら致死量こえてんよ……をを鳥肌たってら」
 あっという間に、伝法な口調に戻る。
 ウルは、どっと疲れを感じた。
 「んでよ、金属探知機もった検査官のおっさんが、私の下着ガン見してやんの……あーいやだいやだ。ロリは犯罪です……まあ、でもパンツさまサマってやつだ、今日メンスのきてそうなおばさんも丸め込めたっしさ。」
 幸は上機嫌で、ぶんぶん下着を振り回しながら、フリクニ・フリクラの節で元気に歌い始めた。
 ♪
 ゆきーのパンツは良いパンツぅ
 白いぞぉー萌えるぞぉー
 ロリーのコカンにスットライクぅー、
 欲しいかー高いぞぉー
 ♪
 ウルは顔をしかめて、窓の外に目を逸らした。聞くに耐えない。
 「なーんだよ、姐さん、そんな顔すんなって」
 少女がケタケタと、邪気たっぷりに笑いながら、初めてウルに顔を向けた。黒目がちの魅力的な顔に、不敵な笑いを浮かべている。
 「自己紹介が遅れたね。私は幸って呼ばれてる。こっちはマスード爺さん」
 「ウルだ」
 短く答えた。
 そのそっけない物言いに、幸は絡み始めた。
 下着を、ダッシュボードに投げ捨てると、口を尖らせる。
 「おいおい。ハッピーにいこうよ、ウルさん。見事、密輸に成功したんだぜ?」
 「ミズ・ウル。勘弁してやってください。初めての大仕事で緊張が解けたんでしょう。普段はこの半分も、しゃべらん子なんですよ」
 「余計な事いうなよ、マス爺。それに私は、緊張なんかしてない」
 「近くの駅で、降ろしてもらえないだろうか。明日おちあえばいいだろう」
 ウルは、関わりあうことを、出来るだけ避けたかった。
 だが、幸は歌うように言った。
 「悪いけど、今日中に車屋とあってほしいんだ。明日の予定も詰まってるからさ。このまま京都まで向かう。二時間ほどでつくだろ」
 
 京都に入るなり、問題は生じた。
 九条の交差点で、信号待ちをしていたウルたちの乗った白いバンは、ニヤケ面の若者達――ざっと五人はいるだろうか――に囲まれ立ち往生していた。
 車高を低くして、下品に改造された4WDが路肩に二台寄せられており、彼らがここらでだべっているところで、折悪しく信号が赤になったのだ。
 助手席で、深くうつむいている幸は、激しく後悔しているようだ。呪詛の言葉を呟いている。
 確かに、幸もウルも並外れて綺麗だが、ダッシュボードに下着が放ってあるのを見られてなければ、ここまでの事にはならなかっただろう。
 幸があわてて下着を隠したのも、彼らを焚きつける原因になった。
 「ネエネエ、お嬢ちゃん、その下着ちょーだいよ。中身でもイイヨ」
 茶髪でピアスをした、フライトジャケットの男が、助手席の窓を小突きながら大声で言った。
 「俺、こっちのガングロの彼女、タイプー。手ーつなぎてー。タイプー」
 泥酔したような眼をした肥満の男が、窓の外から爛々とした眼で覗き込むのを、がんぐろとはなんだろう? と考えながらウルはシカトした。
 防寒着をきている男達を見て、寒いのは私だけではないのだな、と妙なところでほっとする。
 「チクショウ、人の初仕事に泥塗りやがって」
  幸は俯いたまま、毒づいた。
 インド人の運転手つきかよ、おい、じゃあ後ろのコ、ハーフかあ?
 アーリア系と、アラブ系の区別も付かんのか? ウルはイライラを押えた。
 マスードは、困ったように笑って、クラクションを鳴らしているが、男達は退く気配がない。
 「ムカつく。マス爺、轢くか?」
 幸が俯いたまま、ボソボソと呟く。
 「ナンバーが、クリーンなんだ。そうもいかんし、輸送の途中だ」
 マスードが、後ろから我関せずと追い越していく車に、眼をやりながら答えた。
 ハンドルを右に切って、隣車線から脱出を試みるが、進行方向に立っている細身で長身の男が、ガンガンボンネットを叩き始めた。
 コラ、インド人危ねえだろが、殺す気か。
  「そうなのよ、ぶっ殺したくてたまらないの、短小包茎野郎。……マス爺やっちまおうよ。車は処分しちまえばいいじゃん」
 幸が、くいしばった歯の隙間から、本気にしか聞こえない台詞を洩らした。
 「短気を起こすな、幸」
 マスードは、苦笑を男達に向けたまま言った。
 このジジイ、アラブじゃねえの? おーアルカイダ。
  ウルは、怒りの溜め息をついた。
 アメリカでも日本でもそうだった。 我々中東系を見たら、必ずそれだ。
 知ってるか? イスラム教ってパンティ被るんだぜ。
 ゲハハ、そりゃねえだろ。
 幸は芝居をするのも忘れて、愕然と顔をあげた。
 「……今コイツらパンティっつった? ……ねえよ、ありえねえ」
 ウルがポリスを呼べ、と口を開こうとしたときだった。男たちの誰かが、面を上げた幸を見て言った。
 お、やっぱかわいい顔してんなこのコ。もしもーし、このタリバンに拉致られたの?
 その台詞が終わった瞬間、マスードはギアをバックにいれ、車の側面にもたれかかっている男達がよろけるのにも拘らず猛スピードでバックした。
  ウルと幸が慌てて体を支える。
 「つかまれ」
 マスードは言うと同時にギヤを入れ替えた。これで脱出だ。出来るなら最初からやれ。
 ウルは思ったが、次に起きたことは、ウルと幸の想定外だった。
 喚きながら、ズカズカ歩いて来た長身の男とその隣の金髪の小男に向かい車を直進させたのだ。
 上下がわからなくなるような衝撃と、短い悲鳴。
 そして、ブレーキパッドの、歯の浮くような甲高いシャウトが、耳をつんざいた。
 驚くまもなく、男たちは面白いように吹き飛び、二、三回転がって動かなくなる。
 ウルは急発進で、シートにぶつけた頭の痛みも忘れ、呆然とその光景を見つめた。
 幸も、あんぐりと口を開けている。
 まるでスチール写真のように、誰も動かない。
 
 「コスマク(mather cunt)」
 
 アラビア語の中でも、最低の部類に入る悪態を、静寂の中でマスードが呟いた。
 てっめえ!
 肥満体の巨漢が、助手席の窓を拳で叩き、幸が悲鳴をあげた。
 二発目で、ガラスが砕けるかと思ったが、パワーウィンドーが、スルスルと下がり始めた。 男が殴るのをやめて、手を入れて来る。
  「ちょ、爺、何考えて」
 幸の抗議は、男の悲鳴で遮られた。
 マスードが、今度は無表情に、パワーウィンドーを閉め始めたのだ。
 巨漢が、身も世もない悲鳴を上げるのを確認してから、マスードは車を急発進させた。
 布団にくるんだ、木の枝をへし折るような音がして、さらに絶叫が響きわたる。
 マスードは、窓を下げて男を開放すると、巨漢はゴロゴロと転がった。
 対抗車線の車が、スピードを落としてこっちを見ている。
 マスードは、二〇〇メートルほど離れたところで停車し、車から降りると、ガムテープでナンバーをかくした。
 マスードは、大騒ぎしている男達に手を振って、天に無かって繰り出したアッパーの、肘の内側を掌で叩いた。フランス式のファックユーだ。
「さて、逃げ出すか、追ってくるか……」
マスードは、運転席に戻ると携帯を開いた。
「おい爺さん…… 」
 幸は、青い顔で何かを言いかけたが、マスードの酷薄な表情に言葉を飲んだ。
 「サイヤーラ、私だ」
 ルームミラーで、二台の四駆がこちらに向かって走ってくるのを確認してから、マスードも車を出した。
「すまん、トラブルだ。九条でならず者の乗った、車二台に追われいてる……いや、関係ない、幸とお客にからんで来たところを、儂が轢いた……ああ、すまん。だがな」
 マスードは、一呼吸おいて言った。
 「あのゴミどもは、儂に向かってタリバンと吐かしおった。元北方司令官であるこの儂にだ。奴ら、言ってはいかん事を、言ってはいかん人間にいいおった……」
 マスードは、片手で器用にハンドルを切りながら続けた。
 「サイヤーラ、詫びは後でなんとでもする。依頼だ。九号線を西に走って、竹林におびき寄せる。奴等をアラーの身許に送ってくれ。どの車を使ってくれてもいい、死体の始末はこっちでやる。派手な葬式をあげてくれ……そうか、そうだな。わかった。それでいい。恩に着る」
 通話を終え、携帯を畳むと、誰にともなく呟いた。
 「幸の見ている前で殺しはできんわな……」
 




 作者より
こんにちは。花粉は人類の敵です。杉の木なんかなくなってしまえばいいのに・・次回もお付き合いの程をよろしくお願いします。
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