スフィンクスゲーム~クルディスタンから来たニート~(愛される資格 ~いつの日も汝の上に~より改題) あらすじ

この戦争はまさしく、口撃力と攻撃力の戦いであった。念願の京都大学に合格した織河七海は入学式の日、考古学部の部室を訪れる。そこで出会ったのは十崎という掴みどころの無い男だった。七海は首尾よく入部したものの、先輩からのネチネチとしたイジメに悩まされる。
その窮地から七海を救い出してくれたのが十崎とその仲間のならず者にしか見えない九城という男だった。
交友を深める3人を余所に、イラク北部からウルと呼ばれる女が来日する。目的は、ウルがボランティアとして滞在する村の者が以前贈った遺物を
十崎から買い取ること。十崎はかつて、イラクで冥府からの声と呼ばれた、暗殺者だった。違法な遺物の取引に手を染めている
彼を見張るために米軍に雇われ、派遣されていたのがイラクで狂犬と恐れられた傭兵、九城であり、ウルの来訪を期に全てが七海に露見する。



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人生は悲しみに満ちている。

がんばっても、がんばっても、思い通りにいかない事でいっぱいだ。

そうすれば、楽になる事がわかっていながら、私達は限られた選択肢の中から、自

分で選んだ小径を、引き返せずにいる。

そうして、数えきれないくらい転んでも、傷ついても、私達はあがき続けるのだ。

望む答えを得られないにせよ。

せめて自分が納得できるまで。

この物語は、その証左だ。

私は、古ぼけた画用紙をめくり、拙ない、絵と文章に眼を落とす。

そこには、涙を浮かべた河童が、ゴミ捨て場から星空を見上げる姿が描かれていた。

かっぱさんは、なみだをひとつぶながしました。
「ごめんね」
かっぱさんは、お星様をみあげてつぶやきました。
「ぼく、なにかしっぱいしちゃったみたい。ぼくがもっとかしこければ、みんなうまくいったのに」
ぼくさえ、かしこかったらなあ……



 「おい!?」
 大男が、振り上げた手を見た九城(くじょう)は、叫んだ。
 闇色の、血反吐を流す。 
 道化師の、口元のような弧月が、濃密な夜の海に漂い。
 幽霊の棲家となって、久しいカーショップを、朧に照らしていた。
 その屋根の下、高い天井からあちこちが欠けた、蛍光灯の大群が三つの人影を煌々と照らしていた。
 「役に立たない女ですね」
 スーツ姿の男は、座り込んでいる女の側頭部を、後ろから張り飛ばした。
 一八〇センチ一一〇キロはあるだろう体格から、繰り出される平手打ちは女を木の葉のように吹き飛ばし、コート姿の女は、埃にまみれたフロアの上を転がると動かなくなった。
 「何しとんねん!」
 九城 京(くじょう けい)は吼えた。
 二〇メートル程離れているその大男が、大儀そうにコルトガバメントの銃口を九城に向けた。
 九城は男の色眼鏡越しに光る、冷たい眼を見るまでもなく身を翻した。
 四五ACP弾が、九城が身を隠したコンクリートの壁を鋭く抉る。
 夜気に冷え切った壁に、背中を貼り付け、九城は吐き捨てた。
 「何考えとるんや、あのジジイ」
 イラクから帰って以来、伸ばし放題な髪の毛を手早く後ろで括ると、無精髭がまばらに生えた、シャープな顔がさらけ出された。標準より高めの身長に、バランスの取れた体躯と併せ、異性の目を惹きつけるのは間違いない容姿だが、好き嫌いははっきり分かれるだろう。醸し出す雰囲気が、尖り過ぎているのだ。
 まとまらない思考。
 それをよそに、全身ほぼ黒一色の装備で固めた九城の体は、状況に即したアクションを起こしはじめていた。
 バグダッドで、一年も銃把を握っていれば嫌でもこうなる。
 すばやく胸ポケットから、取り出した手鏡で中を覗くと、男はスライドが後退したままの自動拳銃を、スーツの懐にしまうところだった。
 九城は今覗き込んだ展示室と隣接する、自分が立つ自動車修理工場の中を急いで見回した。
 あった。
 焦げ臭さと、ストレスからくる汗の匂いが、焦燥感に拍車をかける。
 銃弾でえぐられた、展示ルームへの入り口に身をさらすと、男が気を失っている女の黒髪を掴んで引き起こしているところだった。
 その手にナイフが握られているのを見た九城は、さっき拾い上げた物体をメジャーリーガーばりのフォームで全力投擲した。かじかんだ指先に浅い擦過傷を残して、汚れたレンガは臙脂色の弾丸と化す。
 レーザーのように飛来する鈍器に対し、男はとっさにナイフを持った左腕をかざした。
 腕と即頭部を掠めた、凶器が背後の壁にあたり、鈍い炸裂音を響かせる。
 男はずれ落ちかけた、サングラス型のゴーグルを直すと、コメカミから滴る血を無視して、無造作にナイフを女の左胸に突き立てた。
 トマトジュースの缶に、ナイフを突き立てたかのように、真っ赤な液体が女の胸から噴出する。
 女は眼をつぶったまま、微動だにしない。
 「ううらあああ!」
 九城は、レンガを投げると同時に、ダッシュを敢行。
 男の凶行をとめることが出来なかった、自責の念と失望感を胎のそこから追いやり、動画の早送りのような速度で、地味なスーツを着た殺人者に肉薄する。
 あのニヤけヅラに、飛び膝を叩込んでやる。
 その後、俺に会うまでに死んどきゃよかったって思わせてやる。
 九城は自分の目が血走り、全身の血管がメロンの表皮のように、浮き出ていくのがわかった。
 男は慌てた風もなく、ナイフを持った左手を懐に突っ込む。
 さっきまで、銃をにぎっていたのと反対の方の手を。
 悪寒を感じた九城が地を蹴るのと、男が悪魔のように笑ったのが同時。
 蛇が襲いかかるかのような速度で向けられたリボルバーが、轟音を木霊させるのと、九城が男の射線からスライディングで身を躱したのも同時だった。
 コルトパイソン特有の、甲高い二回目の咆哮。
 九城の至近距離に着弾した。衝撃に意識を飛ばされそうになるのを、自らも吠える事で必死でつなぎ止める。フロアを下半身で滑走しつつ、左袖から抜き出したナイフを男に向けた。
 彼我の距離およそ三メートル。スパイシーな芳香が鼻をつく。そばで女が横倒れになっていた。
 完全に九城の胴体へとポイントされていた銃口が、死神の鎌を吐き出す寸前ずれた。
 九城の手許から、発射されたナイフの刃先が、男の指に一瞬突き立ったのだ。
 スプリングと本体を、別々に買い漁って自作した、バリスティック・ナイフだ。
 内蔵したばねにより、刃先が射出される。
 男はわずかに顔を歪めると、右手にパイソンを持替え……咄嗟に首を傾ける。
 「らアッ!」
 九城は残ったナイフの柄を投付け、勢いよく立ち上がると、体を伸して全力で銃をはたいた。銃身が完全にあさっての方を向く。
 九城が男の顔に向かって、思い切り右のロングフックを振り抜いた。男は辛うじて顔を背けたものの躱し切れず、カットされた額から、滝のように鮮血が流れ出す。
 男は怒りに眼をすがめ、いつの間にか、再度左手で抜いていたナイフで鋭い孤を描いた。
 獣並みの反射神経を持つ、九城のバックステップでも逃れ切れなかった。右目の上あたりから鮮血が咲く。
 歯ぎしりしつつ、九城は両足タックルに行こうとした。距離を取ると、拳銃の餌食だ。中断して目を見開いた。
 九城を追うように踏み込んできた男の形相が、鬼気迫るものだったからよりも――向けられた掌に、銃が握られていなかったからだ。
 九城は背筋を這い登る悪寒に逆らわず、両腕を合わせて壁をつくった。
 世界が終わったかのような衝撃。
 視界が白から黒へ、そしてまた白に。いつの間にか、裏口に向かって、右手方向に数メートル吹っ飛ばされていた。
 掌打を受けた腕が、鈍痛と痺れを断続的に脳に伝える。
 「なんや……今のん」
 立ち上がれない。
 辛うじて、上体を起こす。
 ケンカと格闘技を、長年やってきた九城でも、初めて味わう重さの打撃だった。
 九城が喰らったのは掌打のはずだが、まるで軽トラックに衝突されたような衝撃だ。
 「発勁です。手首がイカれるから、使いたくなかったんですがね」
 男は血まみれの顔で笑いながら、パイソンを拾い上げた。フラフラと立ち上がった九城の、血が伝う顔にピタリと銃口を向ける。
 「役に立たなかった女の次は、うっとうしいガキ。ターゲット以外に、無駄なエネルギーを使う事になったのは、大変遺憾です」
 「人殺しよりも、遺憾に感じるとこはそこかい」
 「別に他人が勝手に死んだとこで、私には関係ありません」
 「てめえが殺したんだろうが! 仲間で、しかも女だぞ? どこに殺す必要があったんだ!?」
 「……使えない女でした。まあ、殺す事はなかったのかも知れませんが」
 男はハンカチで、額の傷を押さえながら照れたように笑った。
 「済んでしまった事は、しかたありません」
 死体の始末幾らかかるんだろ、不安そうに呟く男に、九城は怒りよりもうすら寒いものを感じた。
 このオッサンからは、人間的な何かが欠如している。
 アイツに似ている。
 意表を突き続ける闘い方も、アイツにそっくりだ。
 「けちくさい事言う割りには、ええ銃使っとるな」
 話続けろ。でなければ死ぬ。
 「手が大きいもんで、アメリカンの方が。じゃ、死んで下さい」
 ち。
 連続した銃声が、灰色の沈欝な処刑場に響き渡る。
 紅蓮で縁取られつつあるフロアに反響したのは、パイソンの甲高い金切声ではなかった。
 「……ぐ」
 男が呻き声を洩らした。
 咄嗟に振り返り様、側頭部をかばうために、折り畳んだ腕から脇腹にかけて、三八口径らしき弾丸が点々とめり込んでいた。
 特殊な素材で織られたスーツなのか、でなければ服の下に防弾の為の仕込みでもあるのか。
 いずれにせよ衝撃を緩和しきる事は不可能だったようだ。
 だが。
 裏口と反対側にあるショールームから現れた人影。
 それを見た男の顔は、苦痛に歪んだ表情から、獲物を見つけた猟犬のそれにと変化した。
 「……真打登場ですか。地獄の女神……」
 男はアーミーグリーンのコート姿を、血塗れの顔で凝視し、憎悪とともに言葉を続けた。
 「ペシュメルガ」
 泰然と微笑むガンスリンガーに、男は邪悪な笑顔を向けた。
 
 「今度は逃がしませんよ……冥府からの声」
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