スフィンクスゲーム~クルディスタンから来たニート~(愛される資格 ~いつの日も汝の上に~より改題) あらすじ

この戦争はまさしく、口撃力と攻撃力の戦いであった。念願の京都大学に合格した織河七海は入学式の日、考古学部の部室を訪れる。そこで出会ったのは十崎という掴みどころの無い男だった。七海は首尾よく入部したものの、先輩からのネチネチとしたイジメに悩まされる。
その窮地から七海を救い出してくれたのが十崎とその仲間のならず者にしか見えない九城という男だった。
交友を深める3人を余所に、イラク北部からウルと呼ばれる女が来日する。目的は、ウルがボランティアとして滞在する村の者が以前贈った遺物を
十崎から買い取ること。十崎はかつて、イラクで冥府からの声と呼ばれた、暗殺者だった。違法な遺物の取引に手を染めている
彼を見張るために米軍に雇われ、派遣されていたのがイラクで狂犬と恐れられた傭兵、九城であり、ウルの来訪を期に全てが七海に露見する。



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 「ん……」
 九城は、人が目覚める時に感じる、方向感覚の喪失を味わいながら、眼を開いた。
 トタン屋根が視界に入り、ついで硬いベンチの感触を背中に感じる。
 身を起こし、ぼんやりしながら辺りを見回すと、一ダース近くのスポーツウェアや、ジャージを着た男女が、陽光の下でテニスに興じていた。そこでやっと自分が、どこにいるのかを思い出した。ここは、京都大学構内の、テニスコートだ。
 そういや京大って、スポーツで名を売ってる競技ってあったっけ。携帯で時間を確認しながら唐突に浮かんできた疑問を適当にスルーする。午後四時前。
 食堂で昼食を済ませたら本格的に眠くなって来たので、無人だったテニスコートのベンチで昼寝をしてたのだ。慢性の寝不足が大分解消された。
 九城が今座っているのは、バス停などに設置されている青いプラスチック製のベンチだ。 二つ並べられているので一七五センチ近くある自分が、二人寝そべっても十分スペースがある。
 なのに。
 九城は眠い眼をしばたたかせながら、ボールが飛び出さないよう、三方を高く囲んでいるフェンス際を見た。 今部活だかサークル活動だかをしている連中のバッグや水筒が固めて置かれている。 そして粗末なトタンで囲まれた、ベンチを含む九城の周囲には、荷物も人の影もなかった。
 なにか腑に落ちないものを感じながら、大きくゆっくりと伸びをし、首を回す。ゴキゴキと凄い音がした。 結構はなれていても、その音が聞こえたらしく、何人かが九城の方を見たが、眼が会うと慌ててそらし、何事もなかったかのようにプレイを続ける。きゃいきゃいと騒がしいが、無理にテンションをあげているのが丸わかりだった。
 「あちい……な」
 九城はひとりごちて前開きのジッパーを開いた。
 羽織っていた派手な柄のパーカーを脱ぎ、Tシャツ姿になると、逞しい筋繊維のうねる鋼の様な体躯があらわになった。
 鋭角的な顔立ちと三白眼、長めの直毛に無精ひげ。野生的な魅力溢れる外見。
 しかし残念ながら、そのどれもが陽光溢れるテニスコートに不似合いで、悲しいくらい用がなかった。
 資格の欄に英検三級と書き込んだ履歴書を持ち、運送会社のバイト面接に意気揚々と臨んだ、痛い過去を思い出し、少し凹む。 『用がない』で連想してしまったのだ。
 九城は、目の前の光景を見ながら、何か説明し難い、わずかな苛立ちを感じていた。
 保護観察処分で済んだのが、不思議なくらいのおバカを中学・高校と重ね続け、留学先のアメリカでも、犯罪スレスレの商売に手を染めた。
 果ては民間軍事会社の一員として、イラクで銃声と簡易爆弾により、耳と心がバカになる思いをするという、極めつけの愚行に走った自分。
 そんな己がなんとなく、軽蔑と引け目を同時に感じる……そう『爽やかさ』
 そう思い至ると同時に、九城は立ち上がった。
 「ちょー、自分」
 ずかずかと歩きながら、手近の男に大阪弁丸出しで声を掛ける。
 「え、ぼくですか?」
 テニスウェアでばっちり決めたその爽やかそうな男は、どうやら、この集団の頭らしかった。振り向いた満面の笑顔がたまらなく不自然で、九城のイラ度のゲージを上げるのに一役買った。
 「そー、自分や。ええラケット持っとんな。おれもテニスやってみたいんやん、教えてーや」
 「ええ、ぼくで良かったら……いやー、凄い体してますねえ。テニスの経験は?」
 「んー、中坊の頃、ラケットの硬いとこで、ヤンキーの頭シバいたときくらやな」
 男の満面の笑顔が、一瞬硬化したが、
 「いやーそうですか、じゃあ、大分ブランクがありますねえ。壁打ちからやってみましょうか?」
 微妙なスルーをしてから、九城を壁際に誘った。
 男は一度荷物のところにダッシュすると、九城に貸すためのラケットを手に取って戻ってきた。
 九城は少し古びたそれに、眉を顰める。
 「そのラケット、かっこええな。俺みたいな初心者でも、ホームラン打てそうやん?」
 男が大事そうに抱えている方のラケットを、ガン見して遠まわしどころかほぼ最短距離で無心する。
 「いやー、ホームランはダメでしょう。じゃ、まず利き手でにぎってみてください」
 欲しくないほうのラケットを手渡され、九城は人の奥ゆかしさを全く理解しない男に、音高く舌打ちした。それでも仕方なく我慢して、男の退屈なレクチャーに付き合ってやる。
 この時点で、九城は自分からテニスをやりたいといったのを、すっかり失念していた。
 三分経つと、めんどくさくなってきた。 だが、壁打ちは結構面白かった。 何度か失敗するうちに、跳ね返ってきたボールをうまくラケットで捉え、ラリー出来るようになる。
 「上手ですねえ。ホントに初めてですか?」
 男は本気で驚いているようだった。
 「ん……まあな」
 「運動神経いいんですねえ。すぐにプロになれるかも。じゃ、続けといてください、ちょっとサークルにもどりますんで」
 男は爽やかに手を振ると、仲間の所へ駆け戻っていった。
 九城は無表情にそれを見送ると、ノロノロと壁打ちに戻った。ひょいとボールを頭上に放る。
 ぱこーん。
 壁から跳ね返ってくる打球を追いながら、今抱えている、さっきとは別の苛立ちの原因を考える。
 ぱこーん。
 よーし、ユカりんめー 今日は本気で打ち込んじゃおーかなー
 男のさっきとは打って変わった、威勢のいい声と女の子の甲高い嬌声を背中で聞く。
 ぱこーん。
 九城の脳裏に、うまく言葉に出来なかったもやもやした気持ちが、明確な形をとりかける。
 よー、今日も飲み会行くっていう、サムライ誰と、誰よ?
 男のテンションの高い、叫び声を聞いた九城は、ラケットを握りなおした。
 ひょーい。
 「すりゃっ!」
 ばこっ!!
 「……次お持ち帰りしようとすぐっ!!」
 九城の渾身の、オーバーハンドによるサーブが、見事に男の後頭部に命中。
 「サー!」
 どんな温和な相手でも、ウザくて血圧が上がるであろう掛け声をあげる。
 命も危ぶまれるような、倒れ方をする男に向かい、九城は吼えた。
 「テキトーに相手して、穏便にお引取り願おうとか思とんちゃうぞ、くらぁっ!?」
 核心を突く、ならず者の言葉に、気絶した男を除く全員が凍りついた。
 「ぬわああああにがテニスじゃああ、お上品ぶりやがってえええええ!」
 うがー、と両手を振り上げた、九城にほぼ全員が悲鳴をあげて逃げ腰になる。
 「をい! そこのねーちゃん」
 鷹がドラッグをキメたら、こんな目になるかもしれない、と言う様な九城の眼光に射られ、手近にいたおとなしそうな女の子が、すくみあがった。
 「見たれや、こいつを!」
 ついで、両手の指で作った輪で強調し、突き出された九城のバギーパンツの股間に視線が釘付けになる。
 「テとぺ、一文字違いや、かかってこんかい! いえ、むしろかかって来てください!」
 「きゃあああああああ!!」
 女の子はやっと絶叫をあげると、呪縛から解き放たれたかのように、必死で逃げ出した。
 それをガニマタのまま追う九城。途中気絶している男の背中を踏んづけ、戦利品のラケットをゲット。
 そいつの握りを、バギーパンツの裾から自分の股間に突き刺した。
 「ババアアアアアン!」
 痛みを堪えるかのような表情で、劇画チックに効果音を叫ぶ。
 四月のテニスコートは、阿鼻叫喚の地獄と化した。
 雲ひとつない空の下、足の速いゾンビに追いかけられる様な恐怖を若人達は忘れないだろう。
 「猿くん! 今日はこいつで勝負だ……そこの見せパンはいてる嬢ちゃん、そうや、ワイはサルや!」
 蜘蛛の子を、散らすかのように逃げ惑う群集に、エリマキトカゲのごとく驀進しながら、九城は絶叫した。
 「ホールインワンやでえ!!」
 
 まだ気絶している男の尻に、ラケットを刺して返却すると、九城は誰もいなくなったテニスコートを後にした。
 「あー、すっきりした……ん?」
 震えてる携帯に気付き、耳に当てる。
 「おー十崎。ん? テニスコートでたとこ……今日は出てきといてくれ言うたんおまえやろ……え、マジか? かわいいん、その新入生? 紹介してーや、おーおー今からいくわ」
 
 七海は三日目には、胃に痛みを覚えた。
 のんびり屋の自分には、無縁だったのに。
  研究室にいかない理由をあれこれと探したが、一度行かなくなると、そのまま足が遠のくのはわかっているので、我慢して通いつづけた。扉が重い。 今日は選択している授業の関係で、研究室を訪れたのが夕方になった。
 いつもより多くの研究生や学生がいた。
桃井の姿を見掛け、少し気分が軽くなった七海は 席に付きチラリと黒田の方を見る。黒田は入り口の扉のほうに向かって移動しながら男子学生と談笑していた。
 どうか今日はヤなこと言われませんように。
 期待は簡単に裏切られた。
 「おい、邪馬台国」
 七海は聞こえない振りをした。
 「おーい。聞いてんのか」
 「織河です」
 七海はそちらに目を向けずに言った
 「悪かったな、邪馬台国。お前出身どこ?」
 「……能勢です」
 「すげえ田舎だな。滝にハマった事あるだろう?」
 黒田と話していた男子学生が、おいおいと言って笑った。
 七海は音を立てて立ち上がった。
 周りが徐々に静かになった。
 俯いたままの視界が狭窄していく。
 あれ?
 怒りで真っ赤になった頭の中が、突如ブラックアウト。
 七海はゆっくりと、黒田の方に目を向けた。
 薄笑いを浮かべた黒田の目に、動揺が走る。
 そのとき。
七海は頭をぽんぽんと軽く叩かれた。
 
 「鳩がでますよ」
 
 気配を感じさせず横に立った十崎が、七海の頭に手を載せたまま言った。
 我に返った七海が、びっくりして眼を向ける。
 あれ? 私……
 いつの間にか、髪の毛を括ってるぽっちに伸びていた、自分の手に驚く。
 何しようとしてたんだろう?
 見上げると、携帯を耳に当てた十崎が、初めて見る生気に満ちた瞳で、七海に笑いかけていた。
  ショータイムのはじまりです。
 その笑顔は七海にそう語りかけていた。
 十崎は眼を閉じ電話に集中しながら呟いた。
 「三、 二、 一……」
 その時入口の鉄扉が勢いよく開き、黒田と話していた男子学生を、紙くずのように吹っ飛ばした。
 笑みを深くし、十崎は言った。
 「ショーダウン」
 「うーっす」
 野太い声が響き渡り、七海はわが目を疑った。
 長目の髪をセンターで分けた直毛におどろおどろしいプリントのパーカー、派手な柄のバギーパンツ。
 鋭角的な顔立ちにはめ込まれた三白眼と、躍動感溢れる身のこなし。
 そういう人種に縁のない七海でも、およそこの国立大学には似つかわしくない人物だという事ぐらいはわかる。
 「……ん? ドアの前に立つなよ。危ねえぞ」
 男はずかずかと入ってくるなり、倒れている学生に向かって言った。
 携帯を畳みながら、
 「退きタマエ!」
 あわてて横に逃れようとした、黒田の背中を思い切りはたく。
 シャツの上からと思えないような音がし、黒田があまりの痛みに、声も出せずにのけぞった。
 男は、十崎の方にデコトラよろしく驀進しながら七海を見て笑う。
 「おー、この娘か。めっちゃめんこいやん」
 その邪気のない笑顔に、状況も忘れて七海は心臓を跳ね上がらせた。
 「三年後が楽しみやな。で、十。面白いものみせたるって何?」
 なんだとぅ!?
 七海は歯を剥きだした――
 心の中で。
だって怖いんだもん、この人。
 十崎はノートパソコンを、指差して言った。
 「黒田先輩が、我らのルーキーを性的・精神的に虐待した全会話がここに」
 「ふーん……」
 男が興味なさそうに、覗き込んだ。
 セクハラはさすがにない、と誰も突っ込めず、妙な静けさが訪れた。固唾を飲んで全員が注視する中。
 「新歓コンパでの会話ログて……お前行ったん?」
 いぶかしむ男に、
 「まさか。そんな退屈なものに参加するくらいならネットゲームでPKやってる方が百ましですよ。単にスパイを紛れ込ませておいただけです」
 十崎は朗らかにとんでもないことを言った。
 「だあな…………あん?」
 パソコンに眼を走らす男の剣呑な呟きに、場の空気が凍りついた。
 「十崎。この九城をいつか埋めてやるって下りはマジデスカ?」
 皆がぎょっとする気配がした。
 確か九城ではなく、十崎だったはず。
 「ほんとうですとも。嘘吐いたことなんかないですよ、ぼく」
 その場にいた大半が叫んだ。
 「「「嘘だッ!!」」」
 「黒田くぅん!!」
 男は大股に近付くなり大きく万歳し、黒田の両肩に全力で振り下ろした。
 すごい音がして黒田が悲鳴をあげる。
 「モニカイパーイココロ怪我シタヨ!」
 男は黒田の胴に両腕を回し、持ち上げると全力で締め付けた。
 「ぐふっ!」
 黒田は喉の奥から、絞り上げるような声を洩らす。
 なぜか男は、照れたように叫んだ。
 「こ、これは唯のベアハッグなんだから、ギュっとかじゃないんだから、勘ちが以下略!」
 「ああー、懐かしい技ですねェ」
 十崎がコロコロと笑った。
 男は床に黒田を優しく浴びせ倒すと、今度は立ったまま片足を絞り上げた。
 スタンドのアキレス腱固めに、黒田は純粋な悲鳴をあげ、何度も床を叩いた。
 周りから引きつった笑い声がちらほらあがるのを聞いて、七海は我に帰った。
 自分は笑う側には周りたくない。
 二人に駆け寄る。
 「ち、ちょっと。やめましょうよ」
 男にじろりとねめつけられ、七海はちょっぴり後悔した。
 「い、いくらなんでもそれは」
 びくびくしながらも抗議する。
 「なんで? ただ懐かしのUWFごっこをしてるだけやで? 単なる冗談ってヤツだよ……」
 そこでじろりと周りを見回し、言った。
 「こいつら風に言うとな」
 七海は言葉を失った。
 この人は、この研究室の空気を理解しているのだ。
 「黒田も楽しそうやろ」
 「明らかに嫌がってますよ!」
 「……自分、日曜の子供アニメに出てくる、黄色い子に似とるな」
 「話を逸らさないでください!」
 考えろ。考えろ。
 七海は棚にあった、黄色い糸を掴んだ。
 発掘の際に使う水糸だ。
 しゃがみこんで、相変わらずもがいている黒田の手に握らせる。
 七海は男を見上げて言った。
 「ロープです。ブレイク」
 「プロレスルールちゃうで。Uやっていったろう」
 「ロープエスケープ三回で失格がUルールです。解いて下さい。ちなみに内ヒー(ル・ホールド)外ヒー(ル・ホールド)ともに禁止です」
 男がぎょっとした顔をした。
 「レフェリー手伝ったらあかんやん。」
 なおも抵抗する男に、
 「レフェリーも道具の一部。レフェリーを踏み台にした飛び膝、シャイニングウィザードを否定するつもりですか?」
 強引に話を逸す。男は黒田の足を放り出すと、うれしそうに言った。
 「十崎。この娘めっちゃおもろいやん」
 「いやあ、私もこれ程とは思いませんでした」
 腕を組み、眼を細めて、満足そうに十崎が言った。
 とりあえず助かった。
 顔をしかめて起き上がる黒田をぼんやりと見ながら、七海はへたりこみそうになるのを必死にこらえた。
 「んで、もう入会用紙は渡したんか?」
 「もちろんです。」
 甘かった。
 「あ、あの」
 「おー、俺、九城。よろしくな、えーと」
 「織河七海です。私考古学部だけで手一杯なんで、とても掛け持ちは無理です」
 「……え、そうなん? 残念やな十崎……まあ、ええか。研究室に来るんやったらだべるくらいはできそうやし」
 「あっさりあきらめるなんて、らしくないですね。それに九城の口から、そんな前向きな言葉を聞くなんてがっかりですよ」
 十崎はそういうと、机の中から三冊の本を取り出した。
 「今入会したら、もれなく必ずゼミで薦められるこの三冊をさしあげましょう」
 「いえ結構です。そんな問題じゃありませんてば」
 即答する七海に、
 「この三冊、絶対必要なのに高い上、なかなか手にはいりませんよ。サークル活動っていっても大半だべっているだけなので、部の支障にはなりません」
 七海の髪の毛を、よこっちょで括っているぽっちが動揺で揺れた。一人暮らしでお財布が厳しい上、一刻も早く勉強がしたい。
 「乗せられちゃダメっ、織河さん! お嫁にいけなくなるわよ」
 桃井のとんでもない援護射撃に、一瞬で我に帰るが
 「「それは無い」」
 九・十コンビに、軽く否定される。
 「しかたありません。とっておきの物件を出しますか」
 欲の皮の突っ張った娘ダヨ、キャシー、などと呟く十崎にムッとする七海。
 だが、続いて取出された厚い洋書に、桃井のみならず、なんと黒田までが、声をあげた
 「「それは……」」
 「コリンレンフルーのアーケオロジー。これもまた、なかなか手に入らない上に高価です。しかも初版。准教授も持ってないのがミソです。」
 いいなあ、という呟きに振り返ると、桃井はバツが悪そうに眼を逸らせた。
 「なんでそんなの持ってんだ?」
 黒田の呆然とした独り言が、七海のハートを、夜中の通販並に焚き付けた。
 「あ、あくまで参考のため聞くんですけど、サークルの活動日ってどんなシフトで実際どんなことをするんですか?」
 織河さん、らめぇという桃井の悲痛な叫びに胸を痛めつつ、七海は冷静を装って聞いた。
 十崎はにっこりと笑って言った。 無邪気に見えるところが、怪しさフルスロットル。
 「活動日は毎日で出席はほぼ自由。いままで一人も来なかったでしょ? 活動内容は、主に昔なつかしの漫画やアニメについてだべること。だらだらと懐かしいものについて語るサークル、略してDNCです。昔の事をねちねちくどくど勝手に妄想し、地面に空いてた穴ぽこから、適当にそれらしいウソと建物を立ち上げて、あわよくば観光名所として儲けてやろうと言う、浅ましい考古学の一環と考えてください」
 「……おい」
 桃井の突っ込みを、軽やかにスルー、十崎は続ける。
 「会費はなし、退会は自由。でなければ、本代を稼ぐために水商売に身をやつした女教師のようになりますよ。それをネタに、英語教師に強請られて、夜の学校であんな事やこんな事……」
 「菊地秀行の、読み過ぎです。これ以上、私の立場を悪くしないで下さい」
 十崎の表情に、一瞬だけ感嘆の色が走ったが、すぐに、
 「そうですか」
 残念そうに眼を逸らした。その伏せられた眼差しには、狙った獲物をゲットし損ねた落胆が、ありありと見て取れた。
 「しかたありません。では淋しさを紛らわせるため、滅多に来ない上、来てもすぐ帰る九城に……」
 十崎は悄然と呟いた。
 「毎日来てもらいましょう」
 七海は足元から、全身が石化していくのをたしかに感じた。
 周囲の空気が、零下にまで下がる。
 「えー、そんなめんど」
 「九城、夕佳さんを見送って三十秒後に、ホームにいたヤンキーを三人とも病院送りにした件ですが」
 「……くないようん。まかせとけ」
 九城は快活に言った。
 ああ、消防署でバイトしてるのかな、とかありえないことを、白くなった頭で考える七海。深くは考えたくなかった。
 気配に気付いて周囲をみると、部員たちが手振りと口パクで必死に訴え掛けていた。
 いっとけ。いいから、いっとけ。
 「う、売るんですか? ヒドい、ヒド過ぎます!」
 桃井を振り返ると、他の女子部員たちに口を抑えられ、ムームー言っている。なんだかかわいい。
  「十崎さんも、恥ずかしくないんですか? そこまでして、なんで私なんです?」
 もう涙目で、手足をじたばたしながら、ヤケクソで叫んだ。
 「菊池秀行の、バイオニックソルジャーシリーズを知っている十代の女の子なんて……まさか、二十年近く前の、官能シリーズにまで手を出しているとは、このスケベ」
 「きぃやぁぁぁぁ!」
 「錯乱しとるやんけ。やめたれや、もうええやん」
 九城が心配そうに言った。
 その時思わぬ方向から横槍が入った。
 「織河。静まれ」
 黒田の静かな声が、七海を現世に引き戻した。
 黒田が片足を痛そうに引きずりながら、机によりかかって立っていた。
 「十崎、織河は考古学部の部員だ。俺には元部長として、彼女を護る義務がある」
 「いままで散々痛ぶっておいて、どの口が言いますか」
 「護る義務があるって言ってるだろ?」
 黒田が何故か悔しそうに強調した
 「こいつは、山を最後まで登って来そうなんだ。頂上まで来てから、こんなはずじゃなかったって言わせたくない」
 「あなたみたいにですか?」
  黒田は眼をそらした。
 「織河。談話室まで来てくれないか」
 「はい」
 七海は話の急転回についていけないまま、反射的に返事した。
 誰も何も言わなかった。
 
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