スフィンクスゲーム~クルディスタンから来たニート~(愛される資格 ~いつの日も汝の上に~より改題) あらすじ

この戦争はまさしく、口撃力と攻撃力の戦いであった。念願の京都大学に合格した織河七海は入学式の日、考古学部の部室を訪れる。そこで出会ったのは十崎という掴みどころの無い男だった。七海は首尾よく入部したものの、先輩からのネチネチとしたイジメに悩まされる。
その窮地から七海を救い出してくれたのが十崎とその仲間のならず者にしか見えない九城という男だった。
交友を深める3人を余所に、イラク北部からウルと呼ばれる女が来日する。目的は、ウルがボランティアとして滞在する村の者が以前贈った遺物を
十崎から買い取ること。十崎はかつて、イラクで冥府からの声と呼ばれた、暗殺者だった。違法な遺物の取引に手を染めている
彼を見張るために米軍に雇われ、派遣されていたのがイラクで狂犬と恐れられた傭兵、九城であり、ウルの来訪を期に全てが七海に露見する。



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 あるところに、おとうさん、おかあさん、男の子がいました。
 とっても仲のいい、しあわせな、かぞくでした。
 でも、ある日、おかあさんが、びょうきでしんでしまいました。
 やさしかったおとうさんは、お酒を飲んでは、男の子をぶつようになりました。
 毎日ぶたれてばかりの男の子は、大事にしていた、かっぱのぬいぐるみをぶつようになりました
 かっぱさんは、うでのところと首のところがとれかけて、なかみがすこしはみだしてしまいました。
 かわいそうにおもった、かみさまはあるばん、おもちゃばこのかっぱさんのまえにあらわれていいました。
 「かっぱくん。なにかおねがいはありませんか」
 かっぱさんはいいました。
 「ならぼくを、男の子がぶたれそうなときに、一回だけでいいからおおきくして、しゃべれるようにしてください」
 
 
 七海は放心したまま、パイプイスに腰掛けていた。
ウルマと名乗る女が去って、どれくらい経ったろう。
一度桃井が、心配したのか覗きに来てくれたが、七海は窓の外を見つめたまま振り返りもしなかった。
日が暮れるとともに足元から忍び寄り始めた冷気だけが、七海を現実の世界につなぎとめていた。
 さっきの十崎との会話。
まるでいつもの帰り道で、交通事故にあったような唐突さだ。付き合ってる彼氏が――いないが――実は女でしたと聞かされても、きっとこんなに驚かないだろう。手の込んだ、十崎一流の悪ふざけと思いたかった。ウルマと言う女の存在がなければ、絶対に信じなかったろう。
 このまま家に帰れば……明日いつものように研究室の扉を開けたら……
 「相変わらず、朝早いですね、十崎さん」
「実は、九城さんとの蜜月に、この部屋を活用してるんじゃないんですか? でバレないように九城さんだけ先に……いやらしい」
「聞いてるんですか、十崎さん」
 くしゃっと七海の顔が歪んだ。
きっといない。
明日はきっといないし、ずっといない。
九城さんが、気紛れにやってきて、違法ダウンロードしたデータを、十崎さんにたかりに来たりすることも、きっとない。
明日には、愛すべきダメ人間達はいないのだ。
 そして……
 スフィンクス・ゲーム。
 この単語が、十崎の口から出てくるとは、夢にも思わなかった。
このゲームにまつわる、記憶がよみがえるたびに、自分を小声で罵ったり、脈絡の無い事を口走ったりして誤魔化して来たが、今はそうする気さえ起こらない。
 七海の中で、相反する感情が、意識の水面に交互に顔を出す。
スフィンクス・ゲームに、興味があったから、私に近づいてきただけ。
落胆。怒り。悲しみ。
それは、珍獣に興味を持つのと同じ意味合いの、関心なのだろうか。黒田さんから助けてくれたのも、全部計算づくだったのか。
 そして、もうひとつの感情。
 スフィンクス・ゲームの事を知っているのに、私に興味を持ってくれた。
 安堵。
 後者の方が、七海には大きかった。
 それくらいまでに、消したい過去なのだ。
 心理的なガードを取っ払った七海の脳裏に、次々と断片的な映像が走り抜ける。
 仲間だった同級生に、頬桁を張られる自分。
 金切り声を上げて、うずくまる半裸の自分。
 真っ赤な顔で、襲い掛かってくる裸の男。
 その後ろの、男達……
 七海は、我知らず呟いた。
 「十崎さん……」
 助けを、求めるかのように。
 さっきの口調の暖かさ。
 『全く……あなたには興ざめです』
 ウルマという、女の言葉。
 『なら、あなたも戦えミズ 』
 勝手言ってんじゃないわよ。
 「言われなくても」
 七海は、涙を拭って立ち上がった。

 「黒田さん、聞きたいことが」
 すっかり夜の帳に包まれた、研究室の扉を開けるとそこにいたのは黒田だけだった。
 「なんだよ」
 黒田は、パソコンから、顔もあげずに返事を返した。
 「お客さんを連れて来た時、九城さんがいってた……」
 「ひよこって子だろ? 美夜子(みよこ)って名前で、十崎の妹だ」
 先を越されて、鼻白んだが、
 「聞こえてたんですか? 談話室での会話」
 「叫び声だけはな。いくら壁が厚くても……俺と桃井しか、聞いてないから安心しろ」
 「その美夜子さんと……」
 「無理だ。十崎と九城以外は、その子の連絡先をしらない。それに十崎は、妹の事に触れられるのを、極端に嫌う」
 七海は、失望でずっしりと体が重くなった。九城さんは、教えてくれるだろうか。無理な気がする。
 「だが、九城は別に気にしてなかった。だからその子の家までの地図をダウンロードさせられた事がある」
「……! あのっ」
 「何するつもりだ、その子の家にいって」
 黒田が、はじめて顔をあげた。
七海は、研究者が、論文のプレゼンテーターに向けるような視線を、ガッチリと受け止める。
全部を、説明するわけにはいかない。
考えろ。考えろ。
 そして。
 「明日」
 七海は、決然とした表情を黒田に向けた。
 「十崎さんに、いつもどおり挨拶して……」
 七海は、最大限の想いを言葉に込めた。
 「もしかしたら、来るかもしれない九城さんに備えたり、学食までダッシュしたり」
 七海の眼から、光るものが溢れた。
 「二人が授業中、笑わせてくるのに耐えたり、十崎さんに、また明日って言ったりするために……」
 「その話をまとめると」
 七海の言葉が、終わらないうちに黒田が言った。
 「十崎が……いや二人とも、いなくなろうとしてる。そういう事か?」
黒田さんは、喜ぶかもしれないな。
 「はい」
 「そいつは」
 黒田は、おもむろに立ち上がり、窓際まで歩いて行くと、背中を向けたまま言った。
 「そいつは……非常に困る」
 やっぱり。でも。
 「黒田さんには、確かに好都合かもしれませんが……え?」
 「困るって言ったんだ。朗読か……もとい、サークル活動がなくなったら、確実に現在の部員が激減する……何考えてるんだ、副部長も、警備隊長も」
 「あの、話が……」
 「言ってなかったか?」
黒田は振り向いて、ニヤリと笑った。
 
 「俺も、DNCのメンバーだ」
 
 「……えええっ! ちょ、そんな……聞いてませんよ、聞いてません!」
 天井が、グルグル周りそうだった。
 「聞かれなかったもん」
 「女子高生みたいな、言い訳はやめてください! ……もう、今日は何がどうなってるのやら……」
 七海は頭を抱えて、しゃがみ込んでしまった。いろいろありすぎて、頭がパンクしそうだ。
 「間に合うのか?」
 七海は顔を上げた。
 黒田が、自分を見下ろす真摯な視線に、所期の目的を思い出し、急いで立ちあがった。
 「たぶん……いえ、きっと」
 「具体的には、どうするつもりだ」
 本当に、この人の質問は、的を外さない。
 「十崎さんが、欲しがるアイテムを集めます。そしてもう一つ、十崎さんの人に知られたくない、ウィークポイントを、彼女から聞きます。その二つがそろえば」
 七海の腹は決まっていた。
 興味半分? 結構。
 珍獣扱い? 何を今更。
 黒田さんも言っていたじゃないか。
 『最初はみんな、そんなもんだ』
 きっかけは、どうでもいい。
 今が大事なんだ。私と十崎さんとの繋がりは、そんなゲームだけなんかじゃない。
 これって、きっと自惚れじゃない。
 だからこそ。
 七海は記憶の底に封印した、忌まわしい過去の蓋を、開けるつもりだった。
 今度は、大切なものをなくさないために。
 七海の唇が、二度と口にする事は無い、と信じていた単語を紡いだ。
 「スフィンクスゲームを、挑みます。」
 「スフィンクスゲーム? ……聞いたことがないな」
 「それはそうでしょう。最初は、一部のクイズマニアが、冗談半分ではじめた遊びだったんですから」
 七海の胸が、過去の傷でうずいた。顔をしかめたくなるほどの痛みだ。
 「十崎さんは、私とそれをやりたがっているんです」
 「それで、十崎と九城を、引きとめられるのか?」
 「十崎さんは、スフィンクスゲームの意味を、知っていました。お互いがベットするものは、プライドなんです。賭け将棋と同じです。ゲームに対して、なんの思い入れもない人には、強制力はありませんが」
 七海は、ちらりと壁時計を見た。十八時四五分。
 「そもそもそういう人は、このゲームをやりません。ですから九城さんに関しては、引きとめられるかどうかわからないです」
 「……まあ、九城はほとんど来てないも、同然だからな。十崎さえいれば、きっといつも通り、餌をもらいにやってくるだろう。時間が無さそうだな。結論から言えば、俺には、十崎の妹の住所を教えることは出来ない。道義的にとか、そんな理由じゃない。十崎にばれたら、何をされるか分からん」
 「……黒田さん」
 「だが、あくまで偶然だが、今俺がいじっていたパソコンに、京都三条の地図が出ていて、ある箇所に矢印が出ている」
 「……黒田さん!」
 「もう一つ。十崎の価値基準は独特だ。赤ん坊が高価なおもちゃよりも、トイレットペーパーの芯を、欲しがったりするのと同じようにな」
 そのとおりだ。実際、十崎が何を欲しがるのか、皆目、見当がつかない。
 「俺はその一つを持っている。今から下宿まで取りに帰って、引き返してきて一五分。ここでコピーするのに五分。間に合うか?」
 「間に合わせてみせます」
 七海は眼差しに、精一杯の感謝の念をこめていった。
 無言で踵を返し、扉に向かう黒田の背中に言った。
 「黒田さん」
 彼はきっと、この時間まで待っていてくれたのだ。
 「かなりかっこいいですよ」
 「気づくのが遅いんだ」
 黒田は振り向かず、扉の向こうに消えた。
 
  

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