スフィンクスゲーム~クルディスタンから来たニート~(愛される資格 ~いつの日も汝の上に~より改題) あらすじ

この戦争はまさしく、口撃力と攻撃力の戦いであった。念願の京都大学に合格した織河七海は入学式の日、考古学部の部室を訪れる。そこで出会ったのは十崎という掴みどころの無い男だった。七海は首尾よく入部したものの、先輩からのネチネチとしたイジメに悩まされる。
その窮地から七海を救い出してくれたのが十崎とその仲間のならず者にしか見えない九城という男だった。
交友を深める3人を余所に、イラク北部からウルと呼ばれる女が来日する。目的は、ウルがボランティアとして滞在する村の者が以前贈った遺物を
十崎から買い取ること。十崎はかつて、イラクで冥府からの声と呼ばれた、暗殺者だった。違法な遺物の取引に手を染めている
彼を見張るために米軍に雇われ、派遣されていたのがイラクで狂犬と恐れられた傭兵、九城であり、ウルの来訪を期に全てが七海に露見する。



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 翌日。
 「おはようございまーす……あ、暖かいラッキー」
 朝一番で、研究室の扉を開けると、部屋には十崎がいるだけだった。誰か先に人が来て、部屋の暖房を入れてくれているのはありがたい。
 この人、健康とは縁が遠そうなのになんでこんなに早起きなのかな、と七海は思った。
 「寒いのに早いですね、十崎さん。御年寄りみたい」
 十崎はにっこり笑って言った。
 「織河さんは、寒いのに子供みたいに元気ですね。 飴玉をあげましょう」
 「わーい、やったー」
 ほんとに飴玉を差し出された七海は、喜んで受け取った。
 「十崎さん、十崎さん。これみてください」
 七海は着ているワンピースの前掛けボタンを順に外して、首に掛けている鎖を引っ張り出そうとした。
 「朝から、それほどでもない胸を見せてくれるんですか? うれしくありません」
 「ちがいます! 悪かったですねっ、それほどでもなくてっっ!」
 穏やかに微笑む十崎の台詞に、一気に気分を害したが、七海の取り出したもの、に表情が変わったのを見て、してやったりとほくそえんだ。
 「……それ、どうやって穴をあけたんですか? 開いてなかったでしょ?」
 件の円筒印章に、鎖を通して、ペンダントにしたのだ。
 「知り合いのおじさんに、ドリルで開けてもらったんです」
 十崎は、慌てて腰を浮かして円筒印章を手にとり、顔を近づけた。
 「油をつけたり、傷をつけたりしてないでしょうね?」
 「大丈夫でーす。くれぐれも慎重にってお願いしましたから。そもそもシリンダーシールって、こういう使い方もあったんでしょ?」
 円筒印章を手にとって、試すがめつすしている、十崎の頭のつむじを見ながら、得意げに言った七海だったが。
 「……ほんとに、僕を退屈させませんね、あなたは」
 顔を上げた十崎に、超至近距離で微笑まれ、七海は心臓の鼓動が、不自然なまでに大きく跳ね上がるのを意識した。
 色白。優しげなまなざし。中性的な雰囲気に痩身。
 よく考えたら七海の、
 「タイプうー。手ェつなぎてー」
 であった。
 七海は、顔が赤くなってない事を祈りながら、
 「そ、それはどうも、どうも」
 と返事するのがやっとだった。
 あなたのことがとっても気にいりましたよ
 鼻二つ分くらい先の、十崎の瞳が語っている気がするのだ。あくまで気、だが。
 十崎の吐息からは、コーヒーの香りがするが、不快ではない。
 私、お口……大丈夫だよね?
 そうだ、昨日食べたのは鯛の兜煮だ、大丈夫。
 今となっては、バクバク音を立てる心臓に、視界を揺らされる七海。
 すっと身を離すと、十崎は背中を見せていった。
 「なるほど、これからそのシールは、あなたの柔肌で、ずっと保護されるわけですね……それほどでもない、胸の間に挟まれて」
 七海は十崎の後頭部に、全力でペンケースを投擲した。
 
 ウルが京都大学の最寄り駅、出町柳駅に着いたのは一五三〇時頃だった。昼過ぎまで寝ていたので、時差ぼけの影響はない。
 一応、それらしい交渉の代理人に見せかけないといけないので、パンツスーツ姿だ。この姿で、柞の木は持ち歩けないので、皮製のショルダーバッグには、サイヤーラに頼んでおいた催涙スプレーと、特殊警棒が入れてある。ゆったりとスカーフを頭に巻きつけているのは、長年のムスリムとしての習性だ。
穏やかな日差しの中を二〇分ほど歩くと、大学の裏門の一つに着いた。入学の時期なのか、生徒が作ったと思しき、派手派手しい巨大な立て看板が、あちこちに飾ってあった。自分の学生生活など、遠い過去のように思える。自分がこの一年ほどで、とても年をとったように思えた。
 昨日の、ハシム師との会話を思い出し、思わず独り笑う。マスードの言葉をそのまま伝えたのだが、あんなに興奮している師は初めてだった。どうやら、マスードの言っていた事は嘘ではないらしい。
 サイヤーラによれば、交渉相手の住居は、ここから駅ひとつ離れた、学生用のワンルームマンションだが、ほとんどそこには帰ってないらしい。ならば、彼の通う大学で接触するしかないだろう。この時間なら、全ての授業は終わっているかもしれない。もちろん帰宅している可能性もあるが、別に今日は下見で終わってもかまわない。
 アメリカのキャンバスと比べても、遜色ないほどこの大学の敷地は広く、また学部によって分散している。
 ターゲットのいる場所は、文学部らしい。それがどこにあるのか、尋ねようにも事務局の位置がまたわからない。 学生に聞くのが手っ取り早かろう。そう考えていると、後ろから声が近づいてきた。
 「おー、十崎か? 今どこ? え、学校とちゃうんか? うん、うん。え? 考古学研究室で待っとけばえーんか? いつなるん……あーわかった。おれ? えーとな」
 ウルを追い越して行った男が、三メーターほど先で立ち止まって、あたりを見回した。
 「環境学部やな。わかった、も少ししたら研究室向かうわ。文学部のやろ?OK、チャオ」
 パーカーに、ジーンズ姿の体格のいい男は、携帯を畳むとポケットにしまいこんだ。
 男をみつめていた、ウルと眼があうと、
 「Help you?」
 ウルは男の話す英語につられ、同じ言語で問い返した。
 「文学部の、考古学研究室を、さがしているのですが」
 「それなら俺も、今から向かうところだから。ついてきて」
 男の口調に、浮ついたものは感じられなかったので、
 「助かります」
 とだけ返事し、二メーターほどの距離を置いてついていく。
 
 同時刻。
 七海が研究室に顔を出すと、そこにいたのは十崎と桃井、あと二人の研究生だけだった。
 後頭部に、わざとらしく絆創膏を貼った十崎が、普段どおり声を掛けてきた。
 「こんにちは」
 「……こんにちは」
 半眼で、いやいや挨拶を返す七海。
 「織河さん、九城をみませんでしたか?」
 席に着く七海に、十崎が問うてきた。
 「知りません。なにせ、それほどでもありませんから」
 隣で桃井が笑いをこらえている。十崎が喋ったのだろう。
 「まあまあ。僕のことをガリモヤシと言った件であいこですよ。ちなみに二度目はありませんからね」
 「言ってません。なんです? 気にしてるんですか?」
 七海は意地悪く笑いながら言った。
 「ええ、体重六〇kgを切ったら、自殺するって決めてますので……今怖くて、体重計に載れないんですよ。織河さんが羨ましいです」
 「そんなにありません!……確かに、食べ過ぎたらすぐ太っちゃいますけど」
 ここで徐に、七海はフゥとため息をついた。
 「何食べても、体重が増えない誰かさんがうらやましいです」
 「……むかつきますね」
 いつもの笑顔だが、眉間にしわが一本よっていた。
 七海は悪魔超人に、一〇pのダメージを与えた……と思う。
 へへーんだ。
 七海は舌を出した。
 もう、許してあげてもいいだろう。
 「さっきの話ですけど、九城さんは見てませんよ?」
 「そうですか。電話も繋がらないんですよ」
 
 九城とウルは、ほとんど会話もせず、文学部の棟に着いた。
 「誰に用事? 呼ぼうか?」
 「ミスター・カジワラ、を訪ねてきたのですが」
 男はシャープな顔に、一瞬怪訝な表情を浮かべたが、直ぐに笑顔で言った。
 「カジワラって、俺くらいの身長で細くて眼鏡かけたヤツ? いや、二人おってさ」
 「もう一人は?」
 ウルが他意なく問うと、一瞬詰まってから男は答えた。
 「えーと……身長が二メーターくらいで、髭生えてて、得意技はアックスボンバー」
 まるで、ステイツのプロレスラーのようだな。
 「……? おそらくあなたくらいの、身長の方だと思います。」
 「それなら、俺の友達だな。さっき携帯で連絡してた男だ、もう少しここで待ってたらくるよ」
 と伝える。
 「ああ、お知り合いでしたか」
 アウルディーの知り合いと、話すことになるとは思いもよらなかった。
 この男から、情報を仕入れておくべきか、ウルは迷った。
 その際どこまで、自分のことを話すべきか。
 先ほどの携帯での会話を聞く限り、この男もアウルディーに用があるようだし、立ち去りそうにない。
 「十ざ・・・・・・カジワラと知り合い?」
 来た。
 「いえ、直接の知り合いではないのです。共通の知人から、日本に行くなら会ってくれと頼まれて」
 できるだけ真実を話すこと。それならぼろがでない。
 「……そっか。あいつ英語はなせるのかな」
 「ああ、私は日本語が話せるので」
 突然、流暢な日本語に切り替えたウルに、男は驚いたようだ。まじまじとウルを見つめる。
 「なんや、そうなん? おどろいたな。」
 「あなたが英語でしたからつい」
 「ほとんどなまり無いな。まぁ京都では、ときどきいるけど」
 「そうなんですか」
 「この辺学生の町やしな。留学生もようけおる。けど、自分みたいに、流暢な日本語話せる人は珍しい」
 「ありがとうございます」
 その後、当たり障りのない会話を続けたが、頃合いを見計らって、男は携帯電話を取り出した。
 「あいつ遅いなぁ。こっちからじゃなくて、裏口から入ったんかな。……十崎? 今どこ?……ああそうか、すぐそっち行くわ。お前にお客さん」
 携帯を閉じると、男はウルを促した。
 「行こう。もう、上にいるみたい」
 
 リノリウムばりの、薄暗い廊下を階段に向かって歩きながら、ウルはひそかに呼吸を整えた。やはり緊張する。白昼衆人監視のなかでとはいえ、自分が相対するのは、楽しんで人を殺すような類の人間だ。
 「うーっす」
 男が挨拶しながら、大きな鉄扉を開けると、中の人間が一斉に振り向いた。だがその視線は、すぐに男の背後にいる、自分に向けられた。
 「お前にお客さん。ごっつい、美人やけど、誰?」
 男は机に座って、かわいらしい女の子と、談笑していた人影に声をかけた。黒のハイネックのシャツを着たその男は、ウルに視線を向ける。澄んだ瞳に、微笑をたたえた色白の顔は、ウルの予想を裏切り、病的な印象を持っていなかった。このどこにでもいそうな、線の細い男が殺人狂? ウルは相手を違えている、危惧を抱いた。
 「十崎さん、誰ですか、このすっごい美人?」
 呆然とこちらを見ていた、十崎の話し相手の少女は、興味深々で尋ねた。
 トザキというのは、ニックネームだろうか。でなければ、何故アリから聞いた、カジワラという名前で、この男に通じたのだろう。
 「そうですね。かれこれ会って、三秒くらいの中です」
 トザキと呼ばれた男――アウルディ――は淡々と答えた。
 考えるのは後だ。ウルは静かに入室し、軽くひざを曲げてメイドのようにお辞儀すると、あらかじめ用意してあった。挨拶を口にした。
 「アッサラームアレイクム、アウルディー。シレルキャンプの、アブ・ハシムの使いでまいりました。漆間と申します」
ウルは、近頃、滅多に口にしなかった、姓を名のった。
 「これは懐かしい。……イマーム・ハシムは、ご健勝ですか?」
 ウルは確信した。この男がアウルディーだ。
 「はい。くれぐれも、カジワラ様には、よしなに、ということです。」
 周りの学生は、みんな困惑していた。会話にまったくついて来れないようだ。
 「ちょっとゴメンな。十崎、じゃあオレ行くわ。このファミコンのカセット……パクられたら困るから、ちゃんと持って帰って、ひよこちゃんに渡しといて」
 「……わかりました」
 「それじゃあな、ミズ」
 「ありがとうございました」
 男が扉から出ていったのを見送りながら、十崎もまた立ち上がって言った。
 「さて、我々も場所を移しましょうか」
 
 ウルは、十崎と文学部の棟を出て、人気のない自転車置き場で、向かい合った。
 目立たない、穏やかな容貌。彼が本当にアウルディーなのか。
 自分の抱いていたイメージとのギャップに、未だ苛まれるウルであった。
 「こんな場所で申し訳ありませんが、誰にも聞かれない場所ということになると、限られてしまいますので」
 男から渡された、ゲームのカセットを掌でもてあそびながら、十崎は言った。
 「いえ、構いません」
 「で、どのようなご用件で、はるばるイラクからこちらまで?」
 「ウスマン老を、覚えておいでですか?」
 「……シリンダーシールの件ですね。まあ想像はついていました」
 「単刀直入に申しあげます。買い取らせて頂けませんか」
 「……これは驚きました。やっぱり返せ、と言いに来たのかと思ったのですが。提示額はいくらです? あの村に、そんなお金があるように思えませんが」
 淡々としたの失礼なものいいにも、ウルはさほど腹を立てなかった。礼儀を欠いているのはこちらなのだ。
 それよりも、目の前の男の、物怖じしない態度に気を引き締めた。
 「七万US$」
 十崎は失笑した。
 「……へえ。そんな大金どうやって用意するつもりです?」
 ここからが、きわどい話だ。ウルは慎重に、言葉を選んだ。
 「この国で買い手がつきました。ウスマン老の所持する、もう一本と合わせて売却します」
 「いくらで?」
 「……それはご想像にお任せします。七万USドルは、さまざまな諸経費や、リスクを差し引いた金額です。あなたは何の危険も犯さずに、大金を手にすることができます」
 「ならお聞きします。たとえば、私が取引に乗るとして、お金はいつ支払われ、私はいつあなたがたに、シリンダーシールを渡せばいいのですか?」
 ウルは答えようとして、その回答が用意出来ていなかった事に、気付いた。
 「それは……シリンダーシールを、先に預けていただいて、売却した後に費用を……」
 ウルはそれを口にしながらも、恥ずかしさで顔が熱くなるのを感じていた。自分はケチな寸借詐欺師です、と言っているかのようだ。
 「……聞き返すのも、馬鹿馬鹿しいですが、私が今から家に引き返して、シリンダーシールを取ってくるので、お金を先にください、と言ったら、あなたお金を渡しますか?」
 「……」
 「つまり最低でも、取引の現場に、私がいなければならないわけです。どこがノーリスクなんです?」
 ウルは、うつむいて言った。
 「……おっしゃる通りです。あなたが我々の同胞だと思いこみ、甘えておりました」
 十崎は、少し驚いたような表情で言った。
 「どこから、そんな発想が出てきたんですか?」
 「あなたは、クルドの軍事組織、ペシュメルガの一員だったのでしょう?」
 ウルも本で読んだだけだが、クルド人でもペシュメルガの隊員になるのは難しいはずだ。
 まず四十五日間監視され、スパイでないが、適性があるかを、徹底的に調べられる。パスしたものだけが、三カ月の訓練に参加することができ、その内容は、政治や軍事、武器の使い方、ゲリラ戦のトレーニングに、三日三晩山中を歩くなど、多岐にわたる。クルド語や、英文学を読むクラスまであるらしい。
 外国人であるこの男が、入隊できたという事実が、いまだに信じられない。
 ウルは、ぎょっとして顔を上げた。
 笑ったのだ。
 淡々と語っていたこの男が、顔を逸し、おかしくてたまらないというように。
 そしてそれは。
 「あなたがたのおめでたさ、失礼、純粋さには脱帽です。私がイラクくんだりまで行った、本当の理由をお教えしましょうか?」
 この男が、自分の正体をさらけ出す、オーバーチュアであろうことをウルは感じた。
 十崎は、屈託のない笑顔で言った。
 「退屈だったからです。ただ、それだけですよ」
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